Quantum Jump

雑踏に飲まれそうになりながらも必死にもがくブログ

灯台から(WordPressより移行)

 

いくら世の中のコミュニケーションがオンライン上で、バーチャルなものになったとしても、言葉から生まれる言葉以外のメッセージは消えない。文面では別に普通なのに、あぁ今怒ってるなぁとか、なにか引っかかっているものがあるんだなぁというのはAIじゃあきっと気づかないだろう。気づかないでほしい。と友人の言葉を見て強く思う。

 

インターンスカイプレッスンを受けて、とてもじゃないけど受かる気がしない。本当に有給で英語圏インターンできるのかな。厳しい戦いになりそうです。

それもあってか以前Tinderで会ったイギリス人と飲んできた。まさか海を超えて父親がアル中でやばいって話で盛り上がるなんて思いもしなかった。英語を話せるようになりたいです。海外の人と仲良くなりたいです。

 

友人の紹介でバイト先に新しい人がきた。後輩と話すのは苦手だ。だってタメ口聞いてくれないからどうしても距離を感じる。綺麗な子だったけど、前だったら正直な話自分の中にあるボーダーを超えればみんなそういう対象で見れたけど、ここ最近そういうのが一気に消えた。説明しがたい。

多分この子とは仲良くなれない気がする。まあ本読んでればいいしいいや。

 

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坂口安吾の本を読み終わった。もとはといえば伊坂幸太郎の砂漠に出でくるあるセリフに心打たれ、調べたら坂口安吾の小説の一文だったのがきっかけ。

 

今の自分の心境というか、女性というものに対しての考え方がいくつか重なるところがあって、なんとも言われぬ感情が込み上げてくる。決して面白かったという言葉で纏めたくはない。

 

犠牲、疑い、恐怖。全てが己に降りかかりそれでも愛そうという姿勢。それに蝕まれる自分。その葛藤の中に理性と肉欲の狭間で揺れ、女の不可解さや残酷さに打ちのめされながらも、依然として女からは逃れられない。

自分を投影して読み進めていく中で、今までにない感情がいくつも生まれていくのが手に取るようにわかっていった。

どどうしても家庭の愛を知らずに育ってきた自分は、恵まれた友人や大人だけでは満たされず、乾いた心の癒しを自分の好きになった人に求めていたのかもしれない。

 

人は必要な時に、人と出会うらしいし、神様は乗り越えられない試練は与えないらしい。受け入れるのと合わせるのは違うらしい。

 

学生という立場や、自分のやりたいことやるべきことが時には障壁になるけど、きっと過ぎてみれば忘れているし、俺という人間が一番成長する時はきまって、こうやってアホみたいに悩んで泣きそうなくらい未来が不安になって、必死で誰かを追いかけている時なんだ。

 

本当に苦しいけど、思いを吐き出した時に前向きに終われるのは、なんとなく安吾の小説を読み終わった後の心地よさに似ているのかもしれない。