Quantum Jump

雑踏に飲まれそうになりながらも必死にもがくブログ

きっとね、と

 

 

まだ寝るのには早いのでふと本を手に取った。こういう時に手に取る本はいつも決まっている。

 

気づいたらもう大学三年生になっていた。

 

どうだろう。この本を初めて読んだ時は果たして高校生の時であったか、それとも中学生の終わりの頃だろうか。

 

鳥井や南や東堂や、そして西嶋を今僕が過ごしている大学で置き換えたら誰になるのだろうか。無論それぞれのそれぞれがあるのだから、小説のように全く同じになるわけもない。

ただ思うのは、彼らに身に降りかかってきた出来事のような事が自分にあったのかなぁ、なんて他人と比べるのが毒だって事を最近より一層感じているのにも関わらず、仮想の世界のお話と比べてしまう。

 

多分彼らと同じ空間に僕がいたら、たった1行程度の説明とともに、一大学生として終わるのであろうか。北村は少し僕らの事を羨むんだろうか。

 

きっと現実世界で誰もがそんな風に相手を思い、自分を不安にさせているに違いない。少なくとも僕みたいな特別だと思っている普通の人間はね。

 

今では”おれ”の人生の土台を形成し、なんならこの本を紹介してくれた大親友と絶縁状態にあるなんて誰が想像したであろうか。いい意味でも悪い意味でもこの年になれば裏切られる事が多くなるけど、不思議と胸につっかえるような気はしない。

 

ただ思いは、特に強い思いは変わらないんだろうと最近思い始めた。というのも家の事や、英語のこと、あとはって考えたけどこの2つかな、強く願い、思っていた事はどんなに周りが変化しようとも、自分は変化しようとも変わらないという事に気がついた。

つまり自分が実現したい現実は、強く願えば願うほど叶うのではと自分にしては割とポジティブな考えを他者の影響なく考えるようになった。

 

他者もいる中で、かつその願いは他者がいて初めて成立するもので、自分だけではどうにもならないことだからこそ、今この時に強く願っておこうと思って日々を過ごしています。未来のおれ、どうなってる?なんかわからないけど自信あるよ。

 

砂漠に雪は降らないなんて嘘だとももう言えない。そんな歳になってしまったけど、そんな歳になったから見える事がたくさんある。そしてそんな歳にじゃなきゃ叶えられないことがあるから、やっぱり大人になればなるほど楽しいってのは間違いじゃなかった。

 

不安の方が圧倒的に大きいのはいつものこと。周りと比べずに過去の自分を超えていくしかない。多分そうじゃないとおれは努力できないから。

 

でもその努力の先に、強く想った先に、素直に正直にまっすぐに向き合った先に、一面の雪景色が広がっているかもしれない。

 

そんなことは、きっとある。