Quantum Jump

雑踏に飲まれそうになりながらも必死にもがくブログ

自分の生まれた日に自分を見つめてみる(WordPressより移行)

 

 

21歳になってしまった。20歳同様なんてことはなかった。まさきに定期返しに行って、そのままセブンでだべって、てんせいに車借りるためにセブン呼び寄せて三人でだべってたら気づいたら21歳になっていた。

思えば誕生日を意識しなくなったのはいつからだろうか。誕生日に好きなものを買ってもらえるというイベントは大きかったのかもしれない。けど高校に入ってから別にバイトしたお金で買えるようになったし、なんらせっかくの誕生日に親と顔を合わせるのが嫌だと中1の頃から思っていたのを今思い出した。多分、物にしか思い入れのない家族の希薄さが周りの人とは誕生日に対する意識の違いを産んだのかもしれない。

 

正直、自分の誕生日も人の誕生日もどうでもいい。記念日に何かする文化がうちにはなかったからそういうのよくわからないのが少し悔しい。

とは言っても、自分が祝われるのは嬉しいもんだ。二年は学校のやつと関係を切るという青臭いことしてたせいでメッセージすら来なかったけど、今年は先輩同学年含めたくさんの人からメッセージをもらった。やっぱ嬉しいよね。自分がされて嬉しいことは人にどんどんできる人間になりたい。

 

海へ行った。




高校時代の誕生日は何をしていただろうか。外語の男子に思い切り生クリームをぶつけられ大変なことになったのはいつだろうか。当時付き合っていた子がくれたものはなんだったんだろうか。この年になると思い出せないことができてくる。それほどこの21年間にたくさんのことがあったに違いない。そうであってほしい。

 

11歳の自分はなにをしていたかなと思った。小学校五年生。

きっと20分休みと昼休みは全力で校庭にダッシュしてサッカーして、帰って出羽公園に全力でダッシュして野球してた。あのときの俺は何を考えていたのだろうか。きっと21歳の大学生にあったら大人だーと思っていたはずだ。

すまんなフルヤ少年。俺はいまでもちんこちんこと大声で叫んでるし、いつでも木に登りたいし、鬼ごっこやる準備も常にできてるただのガキだ。昔の方が大人だった気がするぜちくしょう。

 

 

 

ヤギがふと言ってたのがいつまでも心に残っているのだけど、20歳を超えてからの体感時間はうんちゃらって話。今もそうだけどここから指数関数的に早く感じるんだろうね。

 

理想の未来と現実はびっくりするくらい違う。時に残酷だったり、ときにロマンチックだったり。

 

未来に思いを馳せて不安になりやすい人間だから、期待しないって意味でいつも天邪鬼なこと言ってたけど、言霊を信じてこれからは自分に言い聞かせようと思う。周りに言わなくていい。そこで言って満足しちゃうから。

 

もう大人だ。目を背けたいくらいにそう感じる。

 

ただ今回の誕生日を通して、やっぱり大人になるのは楽しいって、小学校の二階で風に吹かれながら思ったんだ。昔から言ってた通りになってるじゃん。年を重ねれば重ねるほど人生は楽しくなるって。

 

増えていく写真が、増えていく本が、増えていく友達が、、、。考えれば考えるほど楽しいし、今こうしていることに感謝しかない。本当に有難い。

 

いま抱えている不安なんてその時になってみないとわからないから、適当にちんこちんこ言ってればいいや。先の事に準備はしつつ、目の前をしっかりと。

 

なんか知らないけど、いける気がするんだ。未来の俺、待っててくれ。がんばるからさ。